テッド・ウィリアムズ wikipedia|無料辞書
|没年月日 =
|身長 =
|体重 =
|利き腕 = 右
|打席 = 左
|プロ入り年度 = 1936年
|ドラフト順位 =
|初出場 = 1939年4月20日
|最終出場 = 1960年9月28日
|年俸 =
|経歴 =
|選出国 = アメリカ
|選出年 = 1966年
|得票率 = 93.38%
|選出方法 = 全米野球担当記者協会選出
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◆ 来歴
◇ デビュー前
1918年、サンディエゴで生まれる。名前の"Theodore Samuel"は、彼の父サミュエル・スチュアート・ウィリアムズと大統領
セオドア・ルーズベルトにちなんで名づけられた。地元サンディエゴのハーバート・フーバー高校で野球をやっていた頃からその才能は注目され、高校在学中には既に
セントルイス・カージナルスや
ニューヨーク・ヤンキースからのオファーを受け取っていた。しかし、サンディエゴを離れるにはまだ若すぎるとの母親からの反対でテッドは当時まだマイナーリーグに所属していた地元のパドレスと高校在学のまま契約を交わした。テッドはマイナーリーグで上記のパドレスとミネアポリスに所属し、メジャーリーグ昇格の機会を伺っていた。
◇ メジャーでの球歴
第二次世界大戦と
朝鮮戦争による2度の従軍中は出場することが出来なかった
[年齢でいえば、25歳から27歳までの三年間は出場なし、34歳・35歳の二年間でわずか44試合出場に終わっている。このブランクさえなければ、物量的な成績・記録において相当上積みできたと言われている。]が
1960年に引退するまで強打でチームを引っ張り、今も521本塁打、通算打率.344は古巣レッドソックスの球団記録として残っている。また通算
OPS1.116は
ベーブ・ルースに次ぐ歴代2位、通算
出塁率.482は歴代最高の数字である。Untouchableと言われる出塁率5割を3度も達成しており、さらに.490台を4度も記録した。
1966年には
野球殿堂入りも果たしており、彼の背番号
9はレッドソックスで
永久欠番となっている。
◇ テッドの死体を巡る裁判騒動
死の直前、自分の死体を冷凍保存する旨の遺言を残したなどで物議を醸した。
長男
[3回目の結婚の時の妻との子供]は冷凍保存を望み、長女
[1回目の結婚の時の妻との子供]は火葬し遺灰を海にまく事を望んだ。一審では長男の勝訴となったが納得のいかない長女は再審を希望した為、やり直しとなった。そして判決の結果、どちらの意見も尊重し遺体の頭部を冷凍保存、胴体以下を火葬とする判決が出された
[頭部は長男、胴体以下は長女に引き渡された]。現在は実際に頭部のみ
アルコー延命財団で冷凍保存されている。因みに長男は数ヵ月後に
急性白血病により亡くなっており、本人の希望により同財団に冷凍保存された(英語版「」より一部翻訳。詳細は英語版を参照のこと)。
◆ 年度別打撃成績