チャールズ・サンダース・パース(「purse」と発音される
[「パース」"Peirce"は、チャールズ・サンダース・パースの場合、ちょうど英単語の「purse」のように発音される。()。"Note on the Pronunciation of 'Peirce'", The Peirce [外部リンク]Edition Project Newsletter, Vol. 1, Nos. 3/4, Dec. 1994, [外部リンク] Eプリントを参照。])(、
1839年9月10日 -
1914年4月19日)は、
アメリカの
論理学者、
数学者、
哲学者、そして
科学者。
マサチューセッツ州ケンブリッジ生まれ。パースは
化学者としての教育を受け、三十年間、科学者として雇われた。今日、高く評価されているのは、主に論理学、数学、哲学、そして
記号論に対する彼の貢献(そして彼が
プラグマティズムを創始したこと)である。
1934年、哲学者ポール・ワイスはパースのことを「アメリカの哲学者たちの中で最も独創的かつ多才であり、そしてアメリカのもっとも偉大な論理学者」と呼んだ
[Weiss, Paul (1934), "Peirce, Charles Sanders" in the Dictionary of American Biography. Arisbe [外部リンク] Eプリント.]。パースは存命中、おおむね無視されつづけ、
第二次世界大戦後まで二次文献はわずかしかなかった。彼の莫大な量の作品の多くは今も公表されていない。彼はおおむね
英語で執筆したが、一般向けの論文の中には
フランス語でも公表されたものもある。数学、研究
方法論、
科学哲学、
認識論、そして
形而上学といった分野を革新したにもかかわらず、彼は自分のことを何よりもまず論理学者とみなした。彼は
形式論理学に対して重要な貢献をすると同時に、彼にとっての「論理学」は、現在、科学哲学そして認識論と呼ばれているものの多くを含んでいた。彼はさらに、論理学のことを記号論(semiotics)の一分野とみなした(彼は記号論の創始者の一人である)。
1886年、彼は
論理演算は電子的スイッチング
回路によって実行されうると考えたが、この考えは数十年後、
デジタル・
コンピュータを製造するために使われた。
清教徒の移民であったジョン・パースの子孫であり、当時アメリカ最大の数学者と見なされた
ハーバード大学数学教授
ベンジャミン・パースの次男として生まれる。早くから父に才能を見いだされ、特別の教育を受ける。なぞなぞ・トランプの手品・チェス・暗号を好み、8歳で化学者、10歳で数学者となり、12歳のときには
ホエイトリーの『論理学の要項』を教えられ、これを完全に理解したという。
1862年にマスター・オブ・アーツ、
1863年にはバチェラー・オブ・アーツの学位をそれぞれ抜群の成績で授与され、1869年〜70年度には、エマスン、キャボット、フィスクなどの年長者とならんでハーバード大学の哲学講演に参加した。