当時のピストンズは「バッドボーイズ」と呼称されるように気性の激しいトラブルメーカーの選手が多かったが、デュマースは数少ない紳士的で聡明な選手であった。そのため相手チームの中にも「ダーティなピストンズは嫌いだがデュマースは尊敬している」という選手も多く、
マイケル・ジョーダンはNBAで自分が対戦した選手の中で最も優れたディフェンダーだと彼を評している。
デュマースは選手時代にも名選手として名を馳せたが、引退後の
2000年からエグゼクティブマネージャーとしてピストンズのチームつくりに参画しており、その方面でも才能を発揮する事になる。2002-03シーズンにはエグゼクティブ・オブ・ザ・イヤーにも選出された。ピストンズは
ラリー・ブラウン指揮の下、
2004年に優勝、
2005年にカンファレンス優勝を果すがこの好成績にデュマースが果した功績は少なくない。特に
ラシード・ウォレスを入団させたことがピストンズの成績向上につながった。ラシードは
ポートランド・トレイルブレイザーズ在籍時代は、『ミスター・テクニカルファウル』と称されるほど感情の抑えが出来ない選手であり、NBA関係者の間で"問題児"と評価されていた。このトレードはマスコミはじめ多くの関係者が首を捻ったが、結果は
ラリー・ブラウンの下で上手くチームに溶け込み優勝の大きな原動力となった。現在でもラシードはピストンズに欠かせない存在としてファンに認知され、スターターを務めている。