1806年、ジョゼフはナポリ軍の指揮権を与えられ、直後にナポリ王に即位した。その2年後、義弟
ジョアシャン・ミュラがナポリ王位を継承し、ジョゼフはスペイン王ホセ1世となる。スペイン王家の内紛に乗じてフランスの影響力を強化せんとする、ナポレオンの意図を受けてのことであった。スペインの民はこれに反発し、即位したジョゼフを「ペペ・ボテージャ(Pepe Botella)」と呼んだ。「ペペ」は「
ホセ(Jos?、フランス名の
ジョゼフに相当)」の俗称であり、「ボテージャ」は
英語でいう「ボトル」、即ち
瓶のことである。つまり「ペペ・ボテージャ」とは、「酔いどれジョゼフ」を意味する。
スペインにおいては堅実に国内改革に努め、
異端審問の廃止、
封建制廃止などの旧体制打破を目指した。それらの改革はスペインの貴族、
ブルジョワジーに支持され、スペインの近代化に貢献するかに思われた。しかしその性急な改革は、聖職者や地権者などの激しい反発を呼んだ。また、旧態依然とした体制を改善する
文治政治の試みは、
武断政治を執るナポレオンによって阻害された。ジョゼフ自身はスペインの
ゲリラとの和解を目指したが、ナポレオンはゲリラ征伐で一貫しており、駐留フランス軍による軍事制圧とスペイン国民への弾圧を推し進めた。こうした情勢の中で、ジョゼフはスペイン国民の支持を失っていった。
スペイン独立戦争が激化すると共に
軍政が敷かれ、ジョゼフは
傀儡の王と化した。
1813年には廃位され、
ナポレオン戦争終結後は、
亡命を余儀なくされた。