シドニー wikipedia|無料辞書
|公用語名称 = Sydney
|愛称 =
|標語 =
|画像 = Sydney skyline at dusk - Dec 2008.jpg
|画像サイズ指定 =
|市旗 =
|市章 =
|位置図 = Sydney_locator-MJC.png
|位置図サイズ指定 =
|位置図の見出し = シドニーの位置
|緯度度= 33|緯度分= 52|緯度秒= 06|N(北緯)及びS(南緯)= S
|経度度= 151|経度分= 12|経度秒= 31|E(東経)及びW(西経)= E
|成立区分 = 入植
|旧名 = ニュー・アルビオン
|創設者 =
|下位区分名 =
|下位区分種類2 =
|下位区分名2 =
|下位区分種類3 =
|下位区分名3 =
|下位区分種類4 =
|下位区分名4 =
|規模 = 市
|最高行政執行者称号 = 市長
|最高行政執行者名 =
|最高行政執行者所属党派 =
|総面積(平方キロ) = 12,144.6
|総面積(平方マイル) =
|陸上面積(平方キロ) =
|陸上面積(平方マイル) =
|水面面積(平方キロ) =
|水面面積(平方マイル) =
|水面面積比率 =
|市街地面積(平方キロ) =
|市街地面積(平方マイル) =
|都市圏面積(平方キロ) =
|都市圏面積(平方マイル) =
|標高(メートル) =
|標高(フィート) =
|人口の時点 = 2006年
|人口に関する備考 =
|総人口 = 4,336,374
|人口密度(平方キロ当たり) = 2058
|人口密度(平方マイル当たり) =
|市街地人口 =
|市街地人口密度(平方キロ) =
|市街地人口密度(平方マイル) =
|都市圏人口 =
|都市圏人口密度(平方キロ) =
|都市圏人口密度(平方マイル) =
|協定世界時との時差 =
|夏時間の協定世界時との時差 =
|郵便番号の区分 =
|郵便番号 =
|市外局番 =
|ナンバープレート =
|ISOコード =
|公式ウェブサイト = http://www.cityofsydney.nsw.gov.au/
|備考 =
-->
オーストラリア最大の人口を有し、
メルボルンとともに
南半球屈指の経済、文化の中心都市である。
オセアニアを代表する国際的な観光都市でもあり、海に臨む
オペラハウスなどが著名で、世界で最も美しいといわれる都市のひとつである。
◆ 歴史
シドニーの名はイギリスの政治家、シドニー卿(シドニー子爵)トマス・タウンゼントにちなむ。
シドニー湾沿岸には少なくとも4万年前から
アボリジニが定住していた。ヨーロッパ人の関心がこの地域に向かうのは、
1770年の
ジェームズ・クックによる
ボタニー湾の航海の後である。
イギリス人による最初の入植は
1788年で、最初はニュー・アルビオンと命名されたが、まもなく理由は不明ながらシドニーと呼ばれるようになった。このことは植民地開設の特許状がシドニー卿の斡旋で交付されたことに由来すると思われる。
流刑植民地として急速に発展し、
1822年にはすでに銀行、市場、発達した道路網、警察隊を備えた町となった。
1847年には囚人が人口にしめる割合はわずか 3.2%にまで下がった。
当時シドニーにはヨーロッパより週ごとに船が来航し、イギリスや他のヨーロッパからの移民が到着した。
1851年最初の
ゴールドラッシュが起こると、シドニーの人口は急激に増加し、急速に工業化が進んでシドニーは大都市となった。この頃からシドニーと
メルボルンとの間で伝統的な敵対関係が存在し、メルボルンはオーストラリアの最大都市かつ最も裕福な都市となっていた。20世紀初頭になるとシドニーはメルボルンを人口で追い越し、それ以来現在に至るまでシドニーは国内最大の都市に君臨し続けている。1970〜80年代、
オーストラリア準備銀行や
オーストラリア証券取引所と共に、シドニーの
CBDは明らかに国内最大の金融都市となってメルボルンを追い抜いた。20世紀全体を通して見ると、
第二次世界大戦後の10年間を特に顕著とし、ヨーロッパやその後のアジアからの移民が増えるにつれてシドニーの都市圏は拡大を続けた。移民によってもたらされた文化は、シドニーの特徴である多様で国際的な雰囲気を織り成す主な要因である。
◇ 歴史年表