ゴート族の起原は
19世紀から議論されているが、ヨルダネスの伝えるスカンディナヴィア起原については否定的な説が提唱されている。スカンディナヴィア南部はゴートランド(イェータランド)と呼ばれてはいるが、スカンディナヴィア半島でゴート族と結びつけられる痕跡は、ゴート族を含むゲルマン系民族が
ポーランド一帯に遺した
ストーンサークルと類似するものがスカンディナヴィアで発掘されているという程度にすぎない
[ストーンサークルは、ヴィェルバルク文化初期(B1b期・1世紀中期)の墓地では形成されておらず、2世紀初期(B2期)から一定期間にのみ認められる。スカンディナヴィアでストーンサークルが発生したのであれば、初期の段階から認められなければ矛盾が生じる。P.ヘーサー『The Goths』p25。]。また、
クラウディオス・プトレマイオスが著した『ゲオグラフィア』によれば、スカンディナヴィアにゴート族の名称によく似るゴータイ(Goutai)が住むことが確認されるが、『ゲオグラフィア』に記載されている彼らの居留域とストーンサークルの分布は一致しない。このように、スカンディナヴィア起原は考古学的立証が難しく、さらに
ランゴバルト族のような他のゲルマン系民族にも同じ伝説があることから、ゴート族のスカンディナヴィア起原は疑問視されている。
1世紀末(97年から98年頃)に成立したとされる
タキトゥスの『ゲルマーニア』には、リュギイ族の土地より北方にゴート族(ゴートネス)が居留するとの記載が見られ、王制のもとにまとまっていることも知られている
[タキトゥス『ゲルマーニア』(岩波文庫)p219-p210。]。ヨルダネスの記述によれば、彼らはガダリックの子、フィリメル王(ベーリッヒ王から数えて5代目の王)の時代にゴティスカンツァを離れ、
黒海沿岸部の
スキティアにたどりついた
[Jordanes『De rebus Geticis』?.26-27。 ]。ゴート族のビスワ川から黒海一帯への移動については、
1945年以降、ポーランドの北部の
ヴィェルバルク文化と黒海北方の
チェルニャコフ文化が発見され、その歴史をある程度追跡できるようになった。両文化ともにゴート族だけのものではなく、ゲルマン系諸派が残したものであろうが、ゴート族(およびゲピーダエ族)の文化も装飾品の類似性からそこに含まれていると考えられる。