1999年に、ホールは若年性
糖尿病と診断される。しばらくの間競技から離れたものの、2000年
シドニーオリンピックの選考会に間に合うよう戻ってきた。この大会で、50m自由形で優勝、100m自由形で2位となりオリンピック出場を決める。特に50m自由形の優勝タイム21秒76は、10年前に
トム・ジェイガー(Tom Jager)によって作られたアメリカ記録を更新するというおまけつきであった。
この勢いのまま、オリンピックでも、50m自由形で、同僚である
アンソニー・アービン(Anthony Ervin)と並んで金メダルを獲得する。リレー種目では、400mメドレーリレーで金メダルを獲得するも、アメリカが一度も他国に金メダルを譲ったことがない400mリレーでは銀メダルに終わる。このレースの前に、ホールは
オーストラリアに対し、「
ギターみたいにぶっ潰してやる」と挑発していた。ホールは、アンカーを務め、オーストラリアのアンカーの
イアン・ソープ(Ian Thorpe)と対決した。ホールはソープに体半分のリードを保ったまま、最後のターン。リードを保っていたが、ここから、ソープが猛然と追い上げ、最後に逆転を許し、0秒17差で銀メダルに終わる。