カールは
キリスト教に基づく統治を進めるには、聖職者の資質を高めることが必要と考え、各地から
アーヘンの宮廷に人材を集めるとともに、教育を振興した。特に古典研究を進め、俗語化していた
ラテン語が純化され、ラテン語教育が盛んになった。また、各地に教会付属の学校が開かれた。こうした文化の隆盛を「
カロリング朝ルネサンス」と呼ぶことがある。
イングランドから招かれた神学者の
アルクィンがカロリング朝ルネサンスの中心人物として有名である。
カール大帝の後も文化振興は継続され、西フランク王国のシャルル2世(西フランク王840年-877年、西ローマ皇帝875年-877年)までに大成された。ギリシャ語文献のラテン語訳などで活躍した
エリウゲナ、歴史家のヒンクマールなどがよく知られている。この頃になると、文化活動は王宮のみでなく各地の
修道院に広まっていった。各地の修道院でラテン語文献の筆写が行われ、その過程で文字を統一する必要からカロリング小字体が作成された。だが、その後は
ノルマン人の侵入にともなう混乱などにより文化活動は停滞期に入った。